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第16回弘前市都市景観フォーラム②対談-1

2.対談:野沢正光×松隈洋
 「前川建築を通して弘前のまちづくりを語る」
(野 沢)
去年、春に清家清さんという建築家の展覧会があったんですね。ある意味、清家清さん身長180センチくらいあったと思うんですが、背の大きな建築家で、僕らは東京芸術大学東京工業大学と2つの大学を出た先生だったものですから、多少存じ上げる建築家だったんですけれども、亡くなられたんですね。亡くなられた直後に、タイミング良くと言えば怒られますが、清家先生の展覧会もありました。それから前川さんとレーモンドさんの事務所で籍を、たぶん十緒にしていた吉村順三さん、これはもう全く僕が学校の頃に世話になったんですが、迷惑をかけた先生ですけれども、その吉村順三さんの展覧会も去年の暮れにあったんです。どちらの展覧会も、今回の前川さんの展覧会もそうですけれども、たくさんの市民の方々と言いますか.今まではっきり言いますと建築家の展覧会というのは、なんか面倒くさそうで、あまりそんなにお客が入るものではないという風に言われていたんですが、松隈さんの努力などもあって「ドコモモ」の展覧会辺りから、たくさんの方が来てくださるようになりました。特に吉村さんの展覧会は、「新日曜美術館」というNHKの番組で紹介されたりしたこともあって、押すな、押すなという状況になったりしました。ということは、やっぱり我々が、いつの間にか親しんでいて、いつの間にかどうして、どこが、どうなのかわからないけれど、なんらかの影響というと変ですけれども、そこにそれがあることを知っているものが、実は大事なものとして、少しずつ我々の中に自覚というと変ですけれど、少し「どうなのかな」という風になりつつあるという状況なんじゃないかなという風に勝手に楽しみ、そうであってほしいという風に思いますし、きっとそうなんだろうという風に思っています。つまり建築が、前川先生というのは、たぶん僕が思うぐらいですから、たぶんすごい偉い人という感じがあったんでも大高さんでも僕は偉い人と思っていましたから・‥。偉い人と思ってしまうと、偉い人に対して参加するとか、提案するとかちょっとビクビクしまして、偉い人の方に、うんと責任がいってしまうんですね。だから偉い人はとかく、ものを造る偉い人は、とかく孤独になってしまったりするんではないかと思うんです。徐々にみんなで考えられるような社会になってきた時の前川國男さん、次の前川國男さん。それは少し、もっと楽な前川國男さんになっていくという感じもして、それは、僕はそういうことを期待する、期待したいなと思うんです。それは先程も申し上げたんですけれど、前川さんの建物をどう使い込んでいくかということも、そのこと何だろうと思うんですね。前川さんが「ああ、こう使ってくれているの。びっくりしたな。」というと変ですけど、非常に大事に使って頂きながら、思いのほか、おもしろい展開をしてくださるような、怯えない使い方というと変ですけれど、ということが現代建築というのは、たぶんできるんじゃないかと思うんです。現代建築というのは、先程言ったみたいに、ほとんど、まあ言ってみれば骨と皮しか造っていない、みたいところが、一方ではあるんですね。いくらしっかりと言いますか、造形的に大きな要素を占める壁やら、大きな柱などが仮にあったとしても、それは基本的には無駄のない最小限のものを造ろうとする努力の中でのことですから、僕は弘前での前川さんの建築をみなさんが、先程も申し上げたことの繰り返しですけれど、どう使っていって頂くのか。どう楽しんでいって頂けるのかがすごくおもしろそうだし、今回の巡回する展覧会、弘前に巡回する展覧会は、みなさんのアイディアで可能であればここでしかできない「前川展」になれる、することが可能なんではないか。それができたら、それを見る、第一歩なんじゃないかという風になんとなく思っています。
(松 隈)
 展覧会の宣伝になってしまうんですが、東京で一つだけやれたことがあります。東京駅のすぐ目の前、皇居の堀端に「東京海上ビルディング」という前川國男が建てた超高層ビルがあるんですね。東京駅でやることが決まった時に「東京海上」が見える場所に「東京海上」を展示しようと考えました。普段は窓を閉じて壁になっているんです。東京ステーションギャラリーは、この展示が終わると一回閉めて、国の重要文化財になり、戦争前の竣工時の状態に復元させる工事が始まるものですから、ギャラリーを閉鎖するんですね。そこで、最後の展覧会なので、また窓を開けようということになり、「東京海上」が見えるところに「東京海上」が何だったのか、という展示をしたんです。これは、僕もちゃんと知らなかったんですけれど、「東京海上」のタイルの色が赤い色をしているんです。いろんな色を試したようですが、最終的には東京駅の赤煉瓦に対して、建物としてつながりを持とうと、赤にしたそうです。元々は、丸の内地区に三菱地所が造った「一丁ロンドン」と呼ばれた煉瓦の建物が、たくさん並んだきれいな通りがあったわけです。それが全部なくなってしまって、東京駅だけが乱立していた中に、超高層ではありますが、東京駅とちゃんと呼応したビルを造ろうよということで、あの色を選んで造った。そのことも知ったので、余計そうしたくなって展示してみました。ただ残念なことに、目の前に建つ「新
丸ビル」という建物が、展覧会が終わるまでは、穴を掘っているから、たぶん見えるだろうと思っていたら、ことのほか、今の建築って造るのが早くて、鉄骨がどんどん上がって、肝心な窓から「東京海上」があんまり見えなくなっちゃったんです。やっぱり難しいなと思ったんです。本当に東京でやれることって、それくらいのことしかなくて・・・。だから弘前での「前川國男展」は、「本当の前川さんのことを知るためには、弘前の巡回展を見ないといけないよ」という展覧会にしたらいいなと思います。そのための協力は何でもします。それこそ人的にも、みなさん協力してくださいます。先ほども申し上げましたが、野沢さんも今回、前川建築が見られるということで、はじめて弘前に来て頂いただいたんです。知り合いの建築家の方々が、みんな弘前に来たいという風に言っていて、こっそり来るのはやめてくれと言っているんです(笑)。いくらでも応援団を作りますので、良い形で展覧会やっていただけたらと本当に思うんです。野沢さんが話された「ロイヤルフェスティバルホール」の使い方というか、「レスポンス」という言い方、「レスポンシビリティ」の話をされていましたけれど、前川さんは、実は、そこまで見据えていたんだろうと思います。例えば、「東京文化会館」の大ホールのロビーの外側に大きなテラスがあるんですけれども、それは前川さんが、実はオペラとか、コンサートがある時に休憩の時間に、人々がそのテラスに出てゆったりと音楽を楽しんだり、先程の野沢さんは「フェスティバルホール」で美しい女性の写真を見せて頂きましたけれど、ああいう情景が、そういう楽しみ方が、そういう文化の楽しみ方が、あそこで実現できるという風にすごく期待して造ったんですね。ところが、残念なことに、野沢さんの悪口じゃないですけれど、東京芸大の学生さんが、開館した当時、あそこのテラスの前にある、お堀の水を乗り越えて不法侵入をしてテラスに入り込んでしまったことがあった。これも伝聞ですから正確なところはわからないんですけれど、それで管理の方が、もうテラスに一切出さないということになりました。前川さんがご存命中には、結局、テラスに人が出るシステムを作れなかったんですね。亡くなった後に東京都の方が「文化会館をもっと開こう」ということで、テラスの開放もようやく実現して、なおかつ、今は、「国立西洋美術館」との間にある広場から直接入れるようになりました。ちょっと無粋な鉄骨の階段もつきまして、本当にあのテラスがピアガーデンみたいな感じですかね。何かこう夏場の居心地の良い場所になっていて、ああ前川さんが望んだことが、やっとできたんだ、という印象が、僕にはありました。そして、前川國男は、建築を造る時に、そこまで良い目で建築を見てたんじゃないかなと思いました。

〈野 沢〉
 あのたぶんそうですよね。戦後50年、60年と時間が経って、どこも日本の都市というのは、もちろん散漫なところがあったり、いろいろこれから造らなきゃならないこともいっぱいあるんですけれど、公共施設やら、何やら相当、充実してきちんとできてきている。これからそれをどうやって使うのかな、というところでの知恵の出しどころと言いますか。それは僕もそこから先は、やっと地域ごとの独自の匂いっていうのが、現れてくることになってくるんだと思いますね。あの何て言うのかな、もう一歩素敵にするということが先程の観光、人がどう見てくれているかということを、相手に対してどのくらいの、まあ言ってみれば、サービスがきちんとできているかなという感じが、とても大事みたいな気が、僕はちょっとしているんですね。
 レーネルという建築家というか、都市計画家がいまして、すごい貧しいブラジル、すごい貧しいなんて言ったら怒られますけれど、ブラジルのクリティーバという街の市長さんだったんですけれど、今は、国際建築家連合の会長さんなんです。彼が出した本が、日本語になって出ていて、とってもおもしろいんです。彼が、まちづくりで大事だと言っているのは「一生懸命働く、ニューヨークの韓国人の人」とか、「24時間働いて、街を明るくしてくれている人」とか「日本の飲み屋のカウンター」か、あるいは「街の中にある大学」だとかですね。そういうソフトな話をいっぱいしているんですね。やっぱりものが豊か、大きな箱が出来たから良い建築、良い街になるんじゃなくて、それをどんな風におもしろそうに使っている人々がいて、その吸引カが次の人々を寄せて来て、その次の人々がもっとおもしろく、その施設を使い続けていくみたいな人が、人を連続して生んでいくみたいな、能力を生んでいくみたいな仕組みというのが、これから「街の個性」ということになるんじゃないかなと思うんです。時々思い出すんですけれども、僕はニューヨークに一回しか行ったことがないんですけれど、「セントラルパーク」にですね。みなさんご存じかどうか知りませんけれど、しょんぼりした池がありまして、井の頭公園、みなさんに井の頭公園と言ってもあれなんですけれど、要は小さな、色の悪い池です。そこにボートが浮かんでいるような、ボートが浮かびますから、そこに木のテラスがあって、ボートが繋留できるようになっているんですね。夕方、そこを通りかかりましたら、昼間は、子供のボート乗り場のテラスが、とても素敵な白いクロスのかかったテーブルが、ちゃんと並んでいまして、ろうそくが、一本ずつちゃんと立っています。ちょっとお洒落しないといけないような格好で、アウトドアのレストランになっているんですね。こんなところでこんな設えをするか、という感じを僕はちょっとしたんです。それは僕のスタンダードだと、そういう場所はサントリーと背中に書いたプラスチックのイスをバラバラと並べて、サントリーじゃなくてもいいんですけれど、ちょうちんをもらってきて、ぱあ一っとぶら下げて、こんなもんだよと言って、乾いたおつまみなんかを、ぱんと出して、ビールでも売るというぐらいアイディアは出るんですけれど。あんなにきちんとした場所、つまりお客は、このぐらいを望むかもしれないみたいな、お互いの競争ですね。サービスする側とされる側の何ていうのかな、このぐらいやれば満足するだろうみたいな、そういうサービスというものが、つまり、みんなでそれをつくっていくということが、ひょっとするとよその人を呼んでくる可能性もあるし、自分たちが「それじゃあ、あそこで当事者になってサービス側にまわってやろう」ということになるかもしれない、という段階なのかなという風に思うんですね。そうすると、建物を「こう直そうよ」ということについても、あるいは、「こうした方がもっと便利になる」とか、今まで空き家みたいになっていた、どっか公共施設も、食堂なりレストランが、何かそういう場所が、とても賑やかな人を呼ぶ場所になるとか、それを場合によっては、自らそれを市民が担う。そういう社会、そういうことが、その時に建築家は、そのためにどうそれを、例えが建築物の一部を直すとか、先程の「ロイヤルフェスティバルホール」もそうなんですけれど、また1、2年休んで大改修をやるわけですね。そういうことも、「なるほど、それじゃあやろう」という風に決断が、語彙をしゃべるみたいなことが起きてくるのかなという風に思うんですね.そんな風に思います。


2007年1月 1日 12:45 | 第16回弘前市都市景観フォーラム | コメント(0) | トラックバック(0)

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