(松 隈)
実は僕が、たまたま京都にいるものですから前川國男の「ドコモモ」の建物の100選に選ばれた「京都会館」という1960年に出来た音楽ホールと、劇場がある建物が、平安神宮のすぐ近くにありまして、去年45周年になったんですね。50周年を迎える2010年に向けて、改修をしていこうという動きがありまして、その改修の検討委員会に入ってくれ、というようなことで、今それに参加しているんです。一方で京都というのはちょっとプライドがあって生意気な街なんですが(笑)、せっかくその「京都会館」が良い場所にあるものですから、ある文化人の方なんですけれど、「もう京都会館は、そろそろくたびれたし、もういいんじゃないかと。ぶっ壊して3,000人のホールを造ったら、素晴らしいホールができるし、世界からまた人が来てくれる」というようなことを、バブル時期ならまだしもやっぱり言われる方がいらっしゃるんです。何かそういうのがすごくシャクで、僕は実は「京都会館」を見慣れていたものですから、前川國男のところに行きたいと思った人間だったので、もうこれはなんか楽しむしかないなと思って。そしたら、その「京都会館」の館の職員の方々が、そういうことを、すごくやっぱり建物自体を、建物の主として、ずっと親しみを持ってくださって、45周年、何かイベントをやりましょうよということになったんです。それで、去年の10月10日に、見学会とシンポジウムをやりました.学生たちが全部手伝ってくれて、今日、本当は持ってくればよかったんですが、『京都会館見どころマップ』というのを作って、建物の、この場所が見てほしい場所ですよ、というのを作成して、普段上がれない舞台とか、楽屋とか、実は「京都会館」で、今一番素晴らしいと思っているのが屋上なんです。屋上からは、東山の景観は全部、清水寺とかみんな見えて、ものすごく京都に建っている風景がよく見えるんですが、その屋上にも上げてもらって、見学会をやったんです。危機感もあったので、人が来ないとえらいことになると思っていたら、蓋を開けたら500人くらいの人が来てくれました。「京都会館」の屋上に500人近くの人が乗っている状態、というのは、なかなか壮観で、建物を楽しむというか、そんな感じでしたね。それはもちろん、そういう風に会館に対して愛着を持っている方が、中にいらっしゃるということが、すごく大事だったと思うんです。ー方で検討委員会やっているんだから、市の職員が、そういうことをやるのはいかがなものか、といって、館の方がちょっと引いてしまったりしたこともありました。でも、そういう形で協賛金を募ってくださったりして、何かやれることをみんながやってくださって、良い形で会ができたんですね。だから、例えば、集客率が落ちているから新しい建物を造ればいいという発想を、短絡的にされる方がいるんですけれども、じゃあ賑わいを取り戻すために、そういう仕掛けを、毎年、例えば屋上に上がると京都の送り火が、全部五山のうち、4つくらい見えるんですね。じゃあ、「五山の送り火を京都会館の屋上で見る会」を来年はやろうとか、そういう風に、常に、何か建築を使っていく楽しさみたいなものを、いろんなレベルで仕掛けて、例えば、中庭で何か映画鑑賞会やってもいいし、そういう風に考えた時に建物が変わって見えてくるんですね。たぶん、そういうことを前川國男は、どっか上の方で見ていて、僕たちが試されている感じがします。建物を見ている側が試されている感じが、すごくしていて、前川國男の建築だけじゃないと思うんですけれど、これからの建築なり、街を考える時には、そういうようなことが少しずつ楽しみ方として出てきて、みんながそれぞれ気がついてくれるような、そのことが今大事になってきているんだろうと僕は思うんです。野沢さんに、またオランダの話をお願いしてもいいですか。
〈野 沢〉
あの、そうですよね。要は一方で参加型、市民参加の社会とか、いわゆるパートナーシップとか、要は行政と市民が、先程、僕は極端に申し上げましたけれど、よく考えると行政と市民の協働というよりも、市というのは、市民のモノなわけですよね。行政のみなさんというのは、良い建築家を選んで、良い建物を造ってもらう時の建築家にあたる人って、その市民の、皆さんに日々のサービスを提供する人ですから、いろいろな専門家として、なるべく有能で上質のサービスを提供する係という感じなんだと思いますね。そうすると、市民の皆さんは、主人として、何ていうのかな、こういう風に、例えば、今のルールをこういう風に変えたいとか、こういう風に、今までこういう使い方はできない。例えば、5時になるとダメですとか、そういうことに対して、主人としてそうじゃないんじゃないか、ということを少しずつやっていけるチャンスと言いますか。協働社会というのは、たぶんそこから何か扉が開いていく。そうすると行政の方も、むしろ責任が全部、行政に押しつけられないという安心感みたいなものが出てくると、どうぞ皆さんの責任で、皆さんの使いたいように、ロビーの下でビール飲んでください、という風に、たぶん、なるんだろうなという風にぼんやり思うんですね。そういうことは、もうすでに、あちこちで実は始まっていて、その感じが何か、僕はすごく期待できるなというと変ですけれど、僕らにとっても気持ちがいいなという風に思っているんですね。今のオランダの話というのは、「アルヴァ・アアルト」というフィンランドの超有名建築家という感じでいまして、彼がドイツに造った建物を見に行ったんです。そうしたら、有名な40年ぐらい前の建物なんですけれど、いろんなところに看板が立っているんですねそれで小さな写真が付いていて、プランが、平面図なんかが付いていて、この部屋は何だって書いてあるんです。もう建物は日々使っている、こういう建物なんですけれど、こういう建物の入り口のところなんかに、こういう看板が立っていて、要は展示物扱いみたいな。建築を見に行った人は、建築を、つまりガイドがいるようにそれを読みながら、その建築が説明付きで見ることができる、みたいなことがあるんですね。もしも、ああいうことが、今度の展覧会を機会に弘前の8つの建物に用意されるようなことがあったり、あるいは、展覧会の会期中ホールが使われていない時には、ホールがちゃんと見に来た外来者、あるいは、市民の方に説明付きで覗くことが可能なような状況がつくれたら、それは主人である、所有者である市民の皆さんにとっても再確認することになるし、それからよそから来た、例えば展覧会を契機に、ここの建物を見に来た外来の人々に対しても、大変丁寧なサービスになるという風に思うんですね。そういうことが少しずつ、何か次の思いつきを探すというか、次の思いつきのヒントを与えてくれるみたいな格好になってくるんじゃないかなという風に思います。あるいは今の、例えば前川さんが設計した建物でも、どこかに、例えば運営上問題があるとか、あるいは性能上問題があることは、当然あると思うんですね。それは古い建物、特に古ければ古いほど、その当時、片づけられる宿題が小さかったわけですから、それについてももっとしょうがないな、しょうがないな、とずっと言い続けて、そのままにしておくよりは、やっぱりそれは今の技術で、先程、松隈さんがおっしゃられましたけれど、今の技術でどう解決できるのか。そうだったら大きな建物を一つ新たに造るよりは、それを「快適なものに少し直していこうよ」みたいな行為を「ロイヤルフェスティバルホール」ほどではなくても、手を入れていく、変えていく、それもなるべく公開で。それからたくさんの知恵を使って。そういうことができれば、どんどん、どんどん今のストックが、もっと活き活きしてくる環境というのは、特にこの街では、何かすごく想像できるというか。そういう気がして、基本的にはすごくうらやましいと思いながら、東京の郊外のスクロール地帯に住んでいる者としては、本当にうらやましいと思いながら今いるわけです。
〈松 限〉
先ほど「京都会館」のお話をしたんですけれど、京都というのは、結局、神社と仏閣さえ残れば、あとの建物はなくなってもいい、みたいなところが、ちょっと観光都市としてあるんですよ。ですから、町家が、どんどん無くなっている現象に歯止めを、行政としてかけられていない。ようやく、最近気がついて、特別な法律を作って、木造の建築が生き残れるシステムを作って、考え始めたみたいです。条例でもっと厳しく規制を戻そうという気が、ようやく出てきているんですね。ですから、例えば、戦前の建物、洋式的な建築物は、あきらかに今の時代と違う価値を持っているという風に、みんながわかりやすいものですから、守ろうという動きが出てきているんです。でも、「京都会館」みたいに、戦後の建物が、そういう対象として見ることからは、まだ距離がありまして、先ほどの暴論が出てくるような状況なんですね。もしかすると、それはなんかうれしかったんですけれど「京都会館」の館長さんが、「いや京都こそ、京都会館をそういう神社、仏閣と繋げる文化財として発信できるじゃないか。そういう風にして見られるような形で丁寧に直していったらいいんじゃないか」ということを、館長さん自身が、館長さんがたまたま、その前に二条城にいたというせいもあるのかもしれないけれど、でもやっぱりそれを、館長さんにそう思わせるものが、もしかして、前川國男の名前なんか、館長さん知らなかったと思うんですが、前川國男の建築の中に入っている。それは弘前が、前川國男を育てたように、京都の街が、前川にとってみれば、空襲を受けなかった、千年を越える伝統を持っている街に対して、コンクリートとか、鉄とか、ガラスという実は、非常に何ていうんですかね。時間に対しては、そんなにうまく対応できないかもしれないという脆弱な部分を持っている建築の造り方で、伝統や街や自然を破壊しないような建築を、どうしたら造れるんだろうと、ある意味途方に暮れた・‥.その中で、「京都会館」が出てきて、そこではじめて外壁にタイルを使い出すんです。何か、そういう前川國男がもっている建築のタイムスパンの長さと、あともう一つ、前川國男のことで『住宅建築』にも書いたんですけれど、うれしかったことがあって、展覧会の準備をする前の話なんですが、京都の「国際日本文化研究センター」というところで、モダニズムの研究会で、たまたま僕が前川國男のことを話す機会があったんです。前川國男のことをしゃべるということを聞きつけて、コロンビア大学のご高齢の先生が聴きに来てくださった。後で声をかけてこられて、彼が昔、日本で研究するために滞在していたのが、麻布の「国際文化会館」で、調べものに通っていたのが「国立国会図書館」、音楽を聞きに行っていたのが「東京文化会館」だったそうです。前川國男の名前を知らなかったけれど、自分が日本で滞在して、心地よい経験をした場所が全部、前川國男の建築だと知って、ものすごく感銘を受けて、前川國男のことが聴けるということで来たんだ、と声をかけてくださったんですね。それから、一昨年になってしまいましたけれど、「ドコモモ」の世界大会が、ニューヨークのコロンビア大学でありまして、前川國男のことをしゃべった時に、アメリカの古い建築雑誌で『PA(プログレッシプ・アーキテクチャー)』という雑誌があったんですが、その編集者が近寄って来て、1965年、ニューヨークの世界博という博覧会があって、そこで「日本館」を、前川國男が造ったんですけれども、「あの建物は、日本の石垣のデザインと鉄骨の吊り構造という最新の技術を組み合わせたデザインが素晴らしい建物だった。一部がどうも移築されたと聞いたんだけれど、おまえ知っているか」と言って話しかけて来たんです。だから、前川國男の建築が持っているポテンシャルというか、それが国を超えていろんな人が、どこかで経験している。実は、東京ステーションギャラリーで展覧会を始める時に、ステーションギャラリーの館長さんは、東京駅の駅長さんなんですね。内覧会の前に、駅長さんにちょっとだけ説明してくれっていって、お話して会場をご案内したんですけれど、前川國男も知らないだろうなと思って話していたら、前川國男の後期の作品ですけれど、「埼玉会館」という建物があるんですが、そこに来た時に「埼玉会館が前川さんなんだ」と言って、「僕はこの近くに住んでいて、よく見ていて知っているよ」と、そこで急に話がつながりました。幸せなことに、前川さんの建築というのは、やっぱり公共建築が多いですし、どこかでみんなが目にしている。どこかで気になっている。そういう建築が多いですね。そうやって一つひとつ、みんなどこかで気になっている建築が、これほど50年にわたって、時代時代のものが全部揃っているのは、弘前だけですし、弘前のずっと長い歴史の中で、前川國男が一つの、また一つの、この弘前自身から発信できるすごく良い」誇りのものだっていう印象が、来る
度に、僕の確信に近くなってきているんです。
(野 沢〉
たぶん、東京展が終わってホっとしている実行委員長ですけども…。たぶん何でも弘前展の準備もまた、かってでると思いますので、皆さんで知恵をつけて差し上げて、酷使して頂くのがいいんじゃないかと。上手な展覧会ができた頃に、また私は、桜を見ながら、もう一度現れたいという風に思っています。本当に実物をツアーしながら、徒歩圏で見て、それについて模型なり、図面なりで、もう一度確認ができるというすごく立体的な建築展というのは、建築の展覧会としては、本当に理想的だと思うんですね。たぶん日本でそれができるとしたら、初めてのことになると思いますし、この展覧会の企画と運営そのものが、大変な手柄になるという気が…。「何かしなさい」と言っているみたいで申し訳ないですけれども。本当にそうなると思いますし、ひょっとすると、年末に朝日新聞社の今年の美術展ベスト3というアンケートで、堂々第1位にノミネートされる可能性だってなくはないと思うんですね。そんな気がします。前川展」のプレイペントみたいな感じになってしまって、景観フォーラムでなくなりそうですけれども。是非そんな展覧会になることを期待しています。松隈さん、頑張ってください。
(松 隈)
景観フォーラムと離れた、というお話があったんですけれど、そうではないと思っていて、最後に少しそのお話をして、おしまいにします。前川さんの建築って、人に手を差し出している建築だと思うんです。今の建築って、ありがちな建築というのは、建物を閉じてしまって、用のない人が来られなかったり、そこの中に来た人だけが、利益を享受するような建築が多いんですが、前川さんの最終的に求めたことは、都市の中に用もないのに佇んだり、そこで何かをしてもいいよ、という場所を丁寧に造り込んでいく。その時にどういう素材と、どういう佇まいと、どういうスケールで建ち、開いたらいいかということを、一生懸命考えた建築家だと思うんです。だから、それは写真になかなか写りにくい。撮り下ろしをして下さった写真家の吉村行雄さんが、すごく苦労されていたんですけれども、たぶんそこに行って、佇んで、使って、初めてしみじみと良さがわかってくような建築だし、もしかすると、前川國男の建築を見ることによって、都市とか、景観という言葉が違った響きで見えて来たり、みんなが、前川國男の目を持つことによって、あるいは、前川國男が造ろうとしたことに眼差しを重ねることによって、まちづくりが変わってきてほしいというか、変わるんじゃないという風に、僕は思っているんです。学生さんたちが造った模型を、ずっと見ていっても、いかに手を広げて、誰でもおいでよ、という建築を造っていることがわかります。大きな庇が人を招き寄せたり、小さな広場があったり、建物の中にも休める場所があったり、そういう仕掛けを、実は前川さんは楽しんで仕掛けていて、気がついてくれよ、という感じで見ている気が、僕にはしているんですね。だから、たまたま今年、生誕100年ですし、展覧会もありますけれども、それ以上に、弘前という場所で、この景観フォーラムもそうですけれど、「前川國男展」を通して、弘前のまちづくりが、前川國男という一つの大きな財産を味方につけることによって、全国のまちづくりの新しい一つの先駆け、近代建築を味方につけたまちづくりというのは、たぶん、まだ全然、どこの町でもやっていないんじゃないかと思うんです。倉敷とか、もう少し古い時代のものはありますが、近代建築、モダニズムの建築が、まちづくりの一つの大きな要素になっていける街というのはなかなかない。だから、それが弘前から始まれば素晴らしいことだと思います。僕はちょっと疲れているので、どこまでお役立てるかわからないんですけれども、まだ使える(笑)と思うので、是非、協力させていただければ、私にとってありがたいですね。よろしくお願いします。何となく、キャッチボールになりにくいお話でしたけれども、一応、対談の形をこれで終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
(司 会) 、
どうもありがとうございました。松隈さまからは、詳細な前川建築というものの見方、それから考えた方ですね、そういったお話を伺いました。ちょっと、また親近感がわいてきたような感じもしないでもない。また対談の方からは、逆に私たちに宿題を与えられたという感じがいたします。これから前川建築を、どうやって活かしていくのか、といったことをみんなで一緒に考えていければという風に感じております。さて、せっかくの機会でございますので、ご質疑、ご質問ございましたら、一つお願いしたいと思います。前川建築のこういったところが、気になっているとか、そういったところで結構ですので、何かございませんか?
はい。ないようですので、皆さん満足だ、ということで理解させていただきたいと思います。それでは、本日の講師のお二方に、もう一度、盛大なる拍手をお願いいたします。
それでは、最後になりましたけれども、今、松隈さまからもお話がございました。皆様のお手元にもですね、現在行われている東京ステーションギャラリーの生誕100年、前川國男建築展のチラシを配布してございます。この展覧会は、先程からも何回もお話しありました。この春の弘前市立博物館の企画展の中で、開催する予定となっておりますので、またご案内いたします。多数ご覧いただきたいと思います。
それから、もうひとつでございます。皆さまに今日、お手元に配布している資料、アーハウス=『Ahaus』という青森の方の雑誌からとらせていただきました。ご協力をいただきましてありがとうございました。このアーハウスの創刊号の中で、2005年の1月に出たも
のでございますけども、こちらの方で「前川國男と弘前」を特集してございます。こちらの方をご覧になって、また知識の方を深めていただければと思います.
それでは、どうも長時間ありがとうございました。また、来年お会いしたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
コメントする