新狭山ハイツは、1973〜1974年にかけて誕生した民間分譲団地です。「団地」というと、建物の老朽化や住民の高齢化など時間が経つにつれ問題が浮き彫りになってゆくケースが多いなか、新狭山ハイツは素敵に年を重ねた「村」のようでした。

新狭山ハイツへは、西部新狭山駅からバスが運行しています。
(時刻表→http://www.seibu-group.co.jp/bus/timetable/dia/timechart/jikoku130137001.html)
まず、管理事務所を訪れました。突然の訪問にも快く対応していただき、このハイツの英雄・手塚宏さん(NPO法人グリーンオフィスさやま代表理事)を紹介していただきました。(魚崎さん、本当にありがとうございました)ところが、手塚さんは御用事があり、このハイツの植木職人・向井さんを紹介してもらい、案内していただきました。
「向井さんなら畑にいるだろう」ということで、共同農場へ。この共同農場は、近隣の方から借りたもので、一人約20坪、8割ハイツの住人さんが耕しています。農園には「こもれび亭」という小屋と休憩所があり(立派な工具や冷蔵庫もありました!)、大人のサロンになっています。ここで話したことが次の活動につながることも多いそう。向井さんは、「みんな同じ家に住んでるんだから、みんな同じなんだよ。仲間なんだ。」と嬉しそうに話してくれたことが印象的でした。

楽農クラブの農場は、始めはハイツの有志で借りたものだそう。子どもたちの体験の場にもなっていて、ジャガイモやサツマイモ掘りなどを無料でやるそうです。また、毎年4月に行われるビッグイベントに「炭焼き」があります。これはハイツから出る剪定枝や間伐材を活かしたもの。この他にも狭山市のモデル事業を受け入れ、生ごみを活かした「生ごみ処理機」など、そこにあるモノとヒトを活かした知恵がハイツ中に見られました。さらに、新狭山ハイツが成功しているのはカネのこともきちんと考えているから。ここでは管理事務所とNPOとの連携がうまくいっており、外部に回ってしまう資金を出来るだけ自分たちで運用し、活動の幅を広げています。また、足りないお金は公的補助や民間助成を積極的に活用しています。賢くやることは、なんて楽しいことなんだ!ということを教わりました。


↑生ごみ処理機

↑防火水槽上部を木製デッキに
次に、「調整池」に行きました。ここは、もともとコンクリート平板が敷き詰められたガランとした場所だったそうですが、その一角は今では植物の茂るビオトープとなっています。私が行ったときは、睡蓮の花が咲き、オニヤンマが飛んでいました。この美しい場所も、ハイツの方々が自力建設されて生まれたもの。「春になると桜がきれいで花見をするんだよ」と向井さん。なるほど、このハイツには、そこら中に居場所がありました。

最後に、「丸太小屋」を案内していただきました。ここは、手作り工作隊によって建設されたもの。ここには文庫が置かれていて、子どもとお母さんたちの憩いの場になっています。隣接する「なかよし広場」はもともとテニスコートだったものを広場に。「テニスなんて誰もやらないし、みんなで使えるほうがいいでしょう」と向井さん。毎年、夏祭りをするそう。収穫した野菜は屋台で売るなど、まさに村のお祭り!もちろん収益は今後の活動に活かされます。

バスを待つ間、向井さんが話してくれたことがとても気になりました。「偉そうなこといってるけど、俺が始めたのは60過ぎてからなんだ。若いうちはハイツに寝に帰るだけだけだったよ。60過ぎた頃に丸太の人に声かけられて始めたらおもしろくて。職業訓練学校にも通ったんだよ」ポジティブに高齢化を迎えること、経験を活かして地域に貢献すること。(織田)
追伸 エンドウ美味しかったです。向井さん、ありがとうございました。
参考文献:「家とまちなみ No.49」2004年3月号
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