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日記の最近のブログ記事

6日坂本一成さんの38年前の「水無瀬の町屋」に行く。北側にアネックスが新たに加わったのだ。水無瀬も初めての訪問であった。コンクリートに銀ペイント、記憶のままの姿に不思議な驚きがある。アネックスは精緻な木造である。絶妙に対比的である。もちろん二つの住宅それぞれに一人の建築家の作為がある。ただそれがそれぞれにそれはどこまでなのか、それに戸惑う。前者は28歳の作為と偶然によるものであり、後者は今のそれだ。ここにも絶妙の対比があるのだろう。深く読むこと、憶測をすることの楽しさ、それから難しさと危険を思いながら楽しい時を過ごす。

休日。イタリア映画祭で上映されたタヴィアーニ兄弟「ひばり農園」を観る。1915年のアルメニアの話だ。アントニア アルスランの小説(邦訳名はひばり館、早川書房から刊行)を下敷きに、トルコによるアルメニア人虐殺の史実が描かれる。映画はもちろん話をシンプルにせざるを得ない。結果トルコ人将校とアルメニア人の女の話になる。後半の強制移住の道中についても不満が残る。小説の機微が幾分薄いのはしょうがないが残念である。「グッドモーニングバビロン」の視点がが面白かっただけに少々残念であった。ただ素材が重すぎた感は否めぬのだが。

芸大美術館でのデッサウ、バウハウスの展覧会が始まっている。次回講義の折、少し早く行ってじっくり観ようと思う。どんなものがきているのだろうか、期待したい。昨秋デッサウを訪れたばかりだ。ワイマールから移転したデッサウバウハウスは、驚くほど短い活動の後、ナチにより停止を命じられる。周知のことだ。ミースらは海外へ逃れる。そして施設は徹底的に破壊され見る影も無いものとなる。今日見る姿は最近見事に原状回復され再生されたものである。新築のように美しい。実に丹念に再生するものだ、と心から感心する。昨秋の興味の中心はカンディンスキーらの居住した、校舎に遅れ再生なった二棟の森の中の職員住宅にもあった。当時のスチールサッシの断面にそのために開発したごく薄いペアガラスを入れる、など姿を保全しながら性能を上げる試みにも感心したし、徹底した色彩復元の文化財再生技法にもおどろいた。しかもそれ等の仕事が市井の設計事務所の実務、ビジネスとして行われていることに、なおのこと驚いた。訪れたその事務所はタウトのアンクルトムズキャビン、ブリッツなど、息の長い原状回復の仕事をも多彩に手がけていた。ここでは再生、保存が都市の中の仕事として当然のものとして存在しているのである。

大学院特論、「環境計画論」の講義が始まっている。今年も昨年に続き学生が多い。学部から聴講にきている学生も混じる。何を話そうか、毎年考えながら、最初の日を迎える。こちらも在庫がそうたくさんあるわけでもない。以前書いた本を久しぶりにとり、つまんで読んでみると、今考えていることとほとんど同じことを言っていたりするありさまなのだ。
環境の話を今日的な話、トピックスとして話す人はいくらでもいるだろう。なんとか、技術史の中で、時間のなかの必然として、しかも面白い主題、今日のロジックとして話せないか、それも実作を作りながら考えている実感を伴ってと、考えるのだが。表層が建築の主題のように見える今、どのくらいの学生がタフなテクノロジーに興味があるのだろうか。それが問題ではある。

週末、いわむらかずお絵本の丘美術館であった。10周年。早いものだ。今年初めて前庭にこいのぼりが泳ぐ。97歳になったさんのお父上からの贈り物である。車椅子ではあったがそのご両親も東京から来た。会場は多くの関係する人によってあふれる。10年前の美術館、5年前のアトリエ、ともにかかわった大工薄井くん、当時の私の事務所スタッフ、それから計画が持ち上がった十数年前から支えてくれた馬頭の人たちなどなつかしい人たちも もちろん来ている。華やかなアニバーサリーとなる。池田直樹さん池田早苗さんの音楽会に始まり佐藤さん、大金さんの農園で収穫された作物が並ぶレセプション。とてもおいしい。これがどこにも負けない本当の贅沢だ。翌日曜、フィールドを散策。田んぼには水が張られ、寒冷紗に覆われたフレームの中の積み上げられた枯葉のプールにうどの葉が伸びている。若葉が勢いを増し、遅い鶯が鳴く。10年を経た建物は昨日と違わぬ姿である。アプローチのパーゴラのアケビの緑もすがすがしい。これからのここでの活動について話をしながら、今後の宿題を考える。ここまでの成果はここにかかわった様々な人のそれぞれの営為と工夫に拠っている。そのことがすばらしい。








先週半ば、待ち合わせがあり久しぶりにうおがし銘茶茶銀座へ行く。季節はまさに新茶の候である。店が静かに興奮しているようだ。季節がいい。もちろんファサードは持ち上げられ、幅いっぱいの開口となっている。フレームにはうす緑の幕、茶箱も緑色だ。三階で長話をする。これも久しぶり。周囲の建物に切り取られた空をみながらこんなことをしたかったのだと思い出す。また深夜の建て方工事のことを思い出し話す。良いクライアントはわれわれをとんでもないところに連れて行く。この仕事がまさにそうであった。 相方のポジティブな挑発が結果を引き出す。 打ち合わせの段階で「野沢さんがファサードを持ち上げたいのでしょう?僕は上げないと思うな」と微笑みながらいう、クライアントは明らかにこの提案の持つ意味を量っていた。先日終わった吉村順三記念ギャラリーでのNCRビルの展示、奥村が実に一生懸命であった。NCRもきっとそんな仕事であったからであろう。奥村とともに取り組んだ阿品土谷病院、土谷太郎がまさにそんな人であった。

一昨年出版した「団地再生まちづくり」がハングルになって刊行された。問い合わせがあり出版の準備が進んでいる、と聞いていたが先日送られてきた。縦書きが横組みになったほか、表紙、レイアウト、色彩までまったく同じであり驚いた。中身についてはハングルが解読できずわからないのだが。こうした出版が企画されるところを見ると、「団地再生」がかの国でもかなりの宿題となっているのだろう。NPOの仕事がこうして海を渡ったことを喜びたい。

科学博物館でダーウィン展が開かれている。芸大に行くついでに覗く。彼の仕事は19世紀半ばの様々な業績のうちでも最大のものであろう。展示はアメリカの自然史博物館のものを芯にして様々に補ったものであり、それなりの評価はしたい。が不満もおおくある。
第一に展示に日本語の表記以外の説明がまったくないことだ。ダーウィンに寄せる畏敬と期待はこの国にいる諸外国の人にも共通のもののはずである。いわんや展示そのものがアメリカでの評判の展観を基としていることも知られた事実である。かの国での展観と同様のものが見られるとの期待があってもおかしくはない。案の定明らかに外国からの参観者を見かける。
第二に各所に立つ係員の無神経さである。エスカレータ下、入り口近くのスタッフは甲高い声で「会場内ではガムをかむな」などテープレコーダーのように叫ぶ。その声が会場内の展示を見るわれわれに大きなノイズとして届くのである。それが集中を恐ろしく邪魔することにまったく気づくことがない。
最も興をそぐのはとても残念なことだが、科学博物館の新築された建築そのものだ。展示会場に当てられた気のない建築には絶望すら覚える。会場を移る通路状の仮設のような部分など、本当に建築についての無知をさらけ出している。それに比し懐かしい旧館は子供のころを思い出しながら深い感興を覚える。古いからいいのではない。考えることを期待され設計され作られたものと、何も考えることが無く作られたものとの違いである。責任ある人はもっと建築を尊重すべきであり、建築の力を知るべきであろう。そして観客の機微を思うべきである。

吉村ギャラリーにて当番。次週週末が最終である。たくさんの知己が訪れてくれた。その中に大澤三郎さん御子息悟郎さんがいた。友人を伴い来てくれたのだ。しばらく歓談する。大澤君は会場にいた日高君と同僚であったとの奇遇もあった。前川事務所時代の週末、大高事務所にきてくれていたお父上のことを思い出しながら話す。悟郎さんは本当にお父上によく似ている。いうまでもなく吉村さんと前川さんはレーモンド事務所での同窓である。大澤さんが美術学校で建築を学んだころは前川さんの存在は今日の想像を超えて大きいものであったのだろうと思う。奥村が卒業時に「前川事務所に行きたいので紹介状を書いてください」と吉村さんに言った「君は僕のところに来るんだよ」と吉村さんに言われスタッフとなった、と言う話を御自身から聞いたこともある。もしも環境的な仕組みに高い興味と見識を持つ奥村が前川事務所に行っていたらとふと考える。そうであったなら「テクノロジカルアプローチ」はもうひとつの主要なテーマを持っていたかもしれない、などとNCRの図面を見ながら思う。

エコジャパンメールというNIKKEIの配信しているメールマガジンがある。
私のところにも送られて来る。開かぬままにしていることもあるが、土曜の今日、最新号の巻頭の記事を見た。清水和夫さんの「ナント市に学ぶ最先端の都市交通」と言う記事だ。清水さんは自動車評論家,と言うことだがここではナントのパーク&ライドを説明している。こうした取り組みは先般ストラスブール、フライブルグなどで再度見てきたばかりだが、ヨーロッパ中に広がるこの果敢な取り組みの面白さに感心する。エコのほかに様々な実利もあるのだ。どういうわけかこれがなかなかできない許認可の仕組みがこの国にはある。「スカートを踏んでいる」ご当人がまったく無能なのだろう。
以前、アムステルダムの町を散歩しているときその姿を高みからとってくれた同行の人がいた。それをもらって、街路のパターンがわれわれの知っているものと大きく違っていることにあらためて気付いたことがある。自動車がいかにも通りにくいデザインであった。ナントのレポートにある交差点の俯瞰にも同じことを思う。こうした取り組みが大きく遅れている。交通を考えることを市民の手に戻さなくてはならないのではないか。

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