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16世紀文化革命

大分前のことだが書店で山本義隆の名前に引かれ『磁力と重力の発見』三冊を購入した。その後机上に置かれるままになっていたのだが、一気に読んだのが昨年秋、前後して岩波新書、熊野純彦「西洋哲学史ー古前著代から中世へ」  「西洋哲学史ー近代から現代へ」を行き帰りの電車の友にした。あらためてわれわれの知る近代西欧の文化、思考の歴史がいかに短かいものであるかを知る。それが実は過去と断絶したなかでかろうじて発生したものであり、やっと接続することによって存在する奇跡であったことを認識する。一途な宗教がいつも合理、 論理を妨げる、そしてそれがいささか原理的であることから抜け出すときに論理、科学が息をつく。ギリシャがアラブ世界に?がれ、それが10世紀を過ぎて少しずつだがヨーロッパにつながる、10世紀以前、科学的思考は西欧には存せず、そこには未開と原理的宗教としての初期キリスト教世界があるのみだったの だ。ギリシャローマは唯一アラブにつながる。(当時のアラブ社会イスラム教の豊かさ?ゆるさ?を思う。)良くぞギリシャ語からアラビア語への翻訳がされたものである。しかしそのアラビアの地ではムハンマドにより再度原理的宗教に回帰する中でギリシャからの継続は凍結し開花しないのだ。アリストテレス、ピタゴラスの思索はそれにより西欧社会になんと1500年ほどの空白を経てやっと?がることになる。山本義隆の新著「16世紀文化革命」は冶金、建設、医術、戦場など様々な技術の現場での様々な経験が合理と科学の端緒として様々に花を 開く16世紀ヨーロッパを描くいわば前作の重要な補遺にあたるものであるのだろう。17世紀以降、階級社会が再び科学を占拠し自然への恐れから驕慢へとの道を進む今日まで、という括りについても詳述してほしいものである。著者は歴史記述の作業はここで一段落といっているのであるが。

教えている大学でのエスキスの合間の歓談の中、学生にこの本の話をした。山本氏の名前は評判の高い高校物理参考書の著者として多くの学生が知っていた。彼らがこの後著者の良き読者になるのだろう。

以下、下巻の一部を
〈いまだ手職人として蔑まれていた16世紀の技術者や外科医は、自然魔術師や錬金術師と同様に、片足を中世世界に残し、自然にたいする畏怖の念をもちつづけていた。あの近代人アグリコラでさえ、頻発する鉱山の事故にたいして、鉱山には「山霊」や「地の霊」が住んでいるという迷信を坑夫たちと共有していたので ある… 16世紀の職人たちが技術にたいする自然の優位を受け容れ、そのかぎりにおいて自然にたいする畏れの感情をもちつづけていたことは、16世紀の限界としてネガティブに捉えるべきことではない。17世紀以降の近代科学の勝利の進軍が、そのような感情を「克服」せしめることになったのは事実であるが、しかし 実際には近代自然科学はきわめて限られた問題にしか答えていないのである〉 (野沢)

2007年5月23日 13:10 | 本・DVD | コメント(0) | トラックバック(0)

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