フェリーニの「道」(1954)のDVDが届いた。まったく久しぶりの再会である。映画は見たが圧倒的マニアではなかった。ジュリエッタ・マシーナとフェ リーニが夫婦であったことなど昔は知らなかった。半世紀ほど以前の映画。いうまでも無いがとてもいい。是非。
「中川敬のシネマは自由を目指す」に下記の記載。(一部転載すいません)
寒村から口べらしの為に売られた知的障害者ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マ シーナ)と、粗暴で狡猾な怪力業の大道芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)の 二人が織り成す、先駆的ロード・ムービーの大傑作。フェリーニが常にこだわり 続けた、底辺群像ものの決定版である。
「近代人としての私達の悩みは孤独感です。そしてこれは私達の存在の奥底から やってくるのです。どのような祝典も、政治的交響曲もそこから逃れようと望む ことは出来ません。ただ人間と人間の間でだけ、この孤独を絶つことが出来る し、ただ一人一人の人間を通してだけ、一種のメッセージを伝えることが出来 て、一人の人間ともう一人の人間との深遠な絆を彼らに理解させ、いや、発見さ せることが出来るのです。(中略)『道』は映画が利用しうる手段によって、こ のようなことを表現しています」(フェリーニ)
本当に「先駆的ロード・ムービー」と思う。この後作られたたくさんのロード ムービーが思い出される。いかに作家は過去の仕事に支えられながら仕事をしているか、を思い知る。「道」を作らせた過去の仕事は何なのだろう? われわれ の仕事も。
それから当然だが50年前のイタリアの景観、生活が垣間見える。それの圧倒的な貧しさ、それから背景としての宗教が。修道院のシーン、祭礼のシーンの意味。
見ながら思い出したことがある。もう三、四年も前、TVのチャンネルを変えて いたとき、真っ暗な画面に出会った。偶然『キューポラのある街』(浦山桐郎) が放映されていたのだ。映し出された川口の町の風景に驚いた。1962年の川口で ある。その戦後を引きづった風景を見ながらその後のたった半世紀弱の間に風景がいかに極端な変貌を作り、その変貌を私たちが忘れているかを思った。吉永小百合17歳のころのはずだ。彼女は修学旅行に行くことができない中学三年生を 演じている。そしてここでの背景として北朝鮮への帰還事業で新潟に向かう人々 の物語があった。幟のゆれる駅頭で送り出す人と送る人シーン。このときの 「北」が今日の「北」と確実に?がっている。(野沢)
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