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昨日 首都大小泉氏等のハウジングフィジックスデザイン研究会に出席する。面識ある幅のある人々が参加していることに驚く。五十嵐淳さんと北方研の鈴木大隆さんがゲスト。先日小泉さん、大野さんが現地に行かれ絶賛していたJIA環境建築賞にも応募されている作品。都合により残念ながら途中から拝聴したのだが、五十嵐さんの話はハウジングフィジックスに沿ったもので共感した。興味と実践もそれらの延長にある。プロセスについて、実現したものについての話にもけれんがない。オランダの建築家の仕事の面白さは、そのリージョンの特異さとそれへのまっとうな対応に負っている。五十嵐さんにもそれと近似した印象を受ける。草原にきわめて長い住居を置く、凍結深度までの掘り下げ、確認要らずの調整地域、農業資材によってピエールシャローをつくる、などだ。機会を見て見せていただきたい。建築知識で北海道の建築を取材したことがある。20年以上前だ。上遠野さん圓山さんたちと知己となった。縁は今も続いている。昨年の環境建築賞には小室さんが応募している。北海道に目の覚める思索がある。「建築における音、光、熱、室内気候といった物理的な条件を考える」ことを標榜する会に様々な人が集まる、そして熱心である。奥村宅で数人で取り組んでいた、「ソーラー研」の熱さを思いだした。


芸大建築の同窓会「匠美会」があった。芸大120年、芸大建築100年と言う節目である。建築科も連綿と続く椅子製作(と言ってもわれわれの代は課題が無かったのだが)これも長く続いている伝統の課題、実測図、が展示されている。100年を期して製作された記念誌が配布された。野田俊太郎編集長以下、編集に携わった諸氏の思いと労働の成果、大変な労作である。新規の原稿と再録によるものだがおのおのは短いが集積されたものの力が大きい。再録も的確である(未だざっと眺めるだけだが)ように見える。私が寄せた思い出す人たちも巻の終わりにある。一つ前が奥村まことさんの文であった。美術館では岡倉天心展が開かれるとのこと。にぎやかな上野になりそうである。


上棟から3週間が経ち、屋根にはルーフィング(セイレイ ルーフラミテクト)の上に通気層、瓦棒の心木がのせられ、壁にはタイベックが貼られています。アルミサッシの取り付けも行われており、すでに高窓は施工済みです。
梁が浮いていた箇所も修正され、外壁の施工へと移行します。
来週には電気設備の配線工事、今月末もしくは来月あたまに板金屋さんと2度目の打合せを行い屋根の板金工事です。

今日の打合せ項目は、
・屋根谷部分の納まりとその軒先納まり
・アプローチの屋根取り合い
・外壁の納まり(縦貼り、横貼り、左官)
・玄関建具取り付け方、仕様→要検討
・床、壁仕上げの変更の確認
・雨水コレクターについて取り付ける場所など
・電気設備 器具取り付け方
・衛生設備機器 取り付け位置の確認、器具について
 ・・・
施主への確認事項も含め以上です。

先日入園希望の保護者の方の見学会があったそうで、現場監督の小澤建築工房の山田さんは説明に大忙しだったよう。青空が本当に似合う建物ができそうです。
現場から戻ると施主から調理室の家具図が届いており、急いで図面化。
上記事項とともにまとめて施主と山田さんに送付しました。
(奥山)

この春竣工の那須の週末住宅が今月刊行の「住宅特集」10月号に掲載された。全ページ別荘特集である。飯田善彦、横河健等のものも掲載されている。小屋のようなささやかなものもある、が、一方、かなり大型で空調の効いた窓の開かないのではないかとおもえる別荘がいくつもある。なんとなく一昔前の構え、何がいいのかわからない。幾ばくか環境のことが引っかかる時代に、幾分でも自然とのかかわりのあるテーマの住まいがこんなものかとおもう。別荘と括ることでひとまとめにはなっているのだが、なんとなく方向の危なさを思う。住宅の構えも考えさせられる。架構が主題になっているものはわれわれの住宅のみである。

20日デッサウ。バウハウスが目的であるが、はじめに州環境省の建築訪問。とてもよい。蛇のように曲線を描くプラン。色の付いたガラスが安心な建築としている。地熱、夜間築熱、アトリウム、色彩、有機的形態などさまざまな今日的テクノロジーがあふれてしかもカタログ的エコには終わっていない。その上思いのほか「けれん」が無い。各所のディテールに感心する。盲人案内、換気と外気取り入れ、天井面反射を促すブラインド、アトリウムの架構など。欧州のオフィスは大半が個室か二人室のようだ。そのことがこのプランの根拠だが、こうしたところの違いは誰か説明してほしい。
バウハウスへ。原状復元が功を奏しとてもきれいである。初めての訪問だが、既視感がある。物が物だけにこれは当然か。閉鎖後の改築、破壊の変遷を写真で確認する。躯体までも改竄されている模様であり、原状復元とは、あの特徴的な開口部のすべてを新規に制作するものであったことがわかる。当然だが照明器具なども新たに作られている。管球までが当時のものと同じなのはどうしたのであろう。壁、梁、天井の色彩復元も根拠のあるものの用である。ただ大量の面積を占めるガラスもシングルのままである。それにしてもこの建築の維持は大変だろう。ブレンネの再生になるカンディンスキー、クレー等の住んだバウハウス職員住宅群へ。ワイゼンホーフを思い出させる。三棟が森の中に建つ。再生して間が無い。ここでは以前訪れたファグス同様薄いペアガラスによって温熱環境の改善を図っていた。ここも資料の写真を見ると数十年にわたり廃墟である。新築同様、放置されていた時期のことがうそのようである。
キャパの写真が証明するように瓦礫から原状を探し元に戻す作業はドイツの多くの都市で行われたことだ。そう考えるとバウハウスの再生も珍しくない仕事なのかもしれぬ。
帰途、ブリッツ訪問。アンクルトムズキャビンのような徹底した整備はいまだであるがサッシ、ドアなど開口部はきちんと改修され住み心地を保証しているように見える。このほうが不思議に時間の流れを感じさせる。例の巨大な馬蹄形住棟の中庭、その中央のこれも馬蹄形の池で女の子二人がおたまじゃくしをすくっている。入り口横のレストランでビール。窓辺の庭、緑の先に湾曲する住棟。景色がうれしい。店主が純朴。アレクサンダープラッツまで電車。ルートを聞いたおばあさんの執拗な親切。ここでも旧東独地域の気風に触れる。テレビ塔を見上げ博物館島へ。今回二度目の訪問。今日、木曜は10時までの開館である。こうしたサービスがうれしい。其の上夜は無料で入場できる。ギリシャ、ローマ、エジプトを見る。ポツダムプラッツで食事。ステーキから始まりデザート、アクアビッツ、コニャックまで一通り食べる。今回のツアーで一番充実のディナー。後、ナショナルギャラリー再訪。さすがに10時には行列は無し。無料ではないが閉館は深夜0時との事。久しぶりの印象派などの絵画。ニューヨーク、メットのものが来ている。知っているものそうでないものさまざまであるが、質の高い作品群。面白かった。北欧大使館をさっと見てホテルへ。明日は帰国である。
(写真上:Umweltbundesamt−UBA okologischer Neubau
    中左:Bauhaus )





















ツアーの印象は雑多である。ひとつは20年ほどにわたる、いわゆるエコ団地を見ていかにもそれが変化の無いものであり、マンネリに見えるものであったことだ。しかも運営をはじめとしてさまざまな課題を抱えているさまを見た。確信的コロニーは高齢化を抱え、新規の居住者を得られていない。通常のシステムでの供給も地域の住宅需要の読み間違えもありだが、不人気のようであった。ただ地域ガス会社の企画運営になる給湯システムをインフラとしている団地は幾分様子が違って見えた。3000平米の集熱屋根で暖房給湯を行うシステムは居住者に大幅な光熱水費の軽減という実効的なメリットをもたらしている。この辺にわれわれの考えるところがありそうである。19世紀末から20年代のドイツの断片、60年代以降のモダン、これらを飛びとびに見て、連邦環境庁を見たことが今日の建築が案外誠実な答えを持っていることを改めて教えているようにも思えた。この建築にはエコからハイテクノロジー、またはモダニズムまでが軽々とコンバインされているように思える。こうした軽がるとしたしかし確かな建築を作り出すことができることが今日の到達点ではないか。よきクライアントの存在があればのことではあるが。

19日。ポツダム。郊外のエコ建築を見る。ブレンネ、エブレ等の設計。売れ残りあり。花博を仕立て、その跡地の住宅開発。どこかで聞いた手法だが市長の辣腕があだとなり、結果戸建のための土地分譲となる。ケーニッヒの落胆いかばかりか。結果この国では珍しい戸建の並ぶ風景が広がる。工事中を見る。ALCのブロックの組石造である。ケーニッヒに比べ今回のツアーに参加した工務店の人々の目が輝く。ドイツでは多くが組石であったり、集合住宅であり、直接仕事とつながる「物件」が少ないのだ。
ポツダムでシンケルとはいかず、書籍の購入のみ。中でシンケル初期の東屋が面白い。屋上に布製のテントが載る。以前スイスでブロイヤーの初期、ギーディオン発注のテラスハウスをみたことがある。そこに上階のテラスを覆うテントがあった。それと同じ、青、白ストライプの布製である。時間があれば実見したかった。あきらめざるを得ぬ。さてそれで、アインシュタイン塔へ。太陽観測天文台との事だが、アインシュタインがなぜこれの名前なのか?私には不明。周辺の19世紀末の天文台群、その異様な風景が今回も印象の大半。アインシュタイン塔は上り坂が終わり幾分高みのようなところに見下ろすようにある。小さい。室生の塔を最初に見たときの印象とどこか似る。出くわしたとき見上げるか見下ろすかの違いはあるのだが。アインシュタイン塔は建築に見えず、何か別種の造形物のように見える。ベルリンに戻りミースのナショナルギャラリーへ。相変わらず驚きを覚える。何よりの体験である。ベルリンを訪れる楽しみを思う。アメリカからの印象派の展示。一階にはカレーの市民が置かれるほか何もない。巨大なクロークが設えられている。外からはまるで古着屋のよう。行列30分待ち、とても無理。木曜の夜、旅の最終日にでものぞこうと思う。この日は遅くまで開かれている由。ポツダムプラッツ、ピアノのショッピングアーケードで買い物。ドイツにはろくな物がない。ブランド物屋だけ。蝋燭を買う。さまよい、Uバーンでツオー駅近くの繁華なところにある戦争に記憶をとどめる教会へ。本屋の店頭のバーゲンのワゴンでキャパの1945年夏のベルリンを撮った小さな写真集見つける。1,95ユーロ。惨憺たる廃墟の中の人々。
(写真上左:Okosiedlung Bornstedter Feld  上右:Potsdam)











18日ベルリン初日。ブレンネに会う。事務所は旧光学工場の巨大建築の中である。1890年代の建築。レンガ造高さ30メートルはあるかという5階建て。その上に鉄骨の巨大な架構が乗る異様な接合。鉄骨部は測距儀の実験のための施設と聞いた。戦時遺稿である。そういえば、当時光学器械産業は軍需産業であった。気ままにカメラを手にするのは戦後のこと。ブレンネの書いたタウト建築ガイドを持参。確かワタリウムでのタウト展で購入したもの。ケーニッヒがお節介にも彼のサインをねだる。タウト復元の仕事につきアソシエートにより説明を受ける。考証と再生の面白さ。彼とアンクルトムズキャビンを見る。大変な色彩の復元である。本当か、と思わせるが、圧倒的な森林の中ではこの色彩が悪くない。当時からここは鬱蒼とした森であったとの事。ブレンネはタウトだけではなく、ハンネスマイヤーのバウハウスの職員住宅、など生粋のモダニズムの原状再生も手がけている。バウハウスは数日後訪れることになる予定。この日の午後、木造ドミノ、地域住宅建築賞受賞のメールが入る。ほっとする。
(写真左:Siedlung”Onkel Toms Hutte”  右:Buro Arch.Brenne)


17日午前ハンブルグ郊外のエコ団地へ。3000平米の屋根に太陽熱集熱装置を設置ガス会社の企画で10年ほど前にできたもの。三階建て集合住宅棟が十数棟並んでいる。現在の管理会社は別の組織になっている。屋根のほぼ全体が集熱のためのパネル状になっている。いわば傾いたカーテンウオールである。比較的大きな団地全域の地下を不凍液のパイプが中央プラントから駆け巡り採熱する。建物も大きい、そのため景観が優れている、建築が優れているとは言いがたい、が、エネルギー取得は大きく暖房給湯のかなりの部分をまかなっているという。ここの面白さは先の思想確信的エコ団地とは違う。いわば技術突出型。ものすごさに呆れながら微笑んでしまう。特にトラブルことなくこういうメカが稼動していることはえらい。規模がある程度大きいことが維持管理に手間をかけ、システムを健全に維持させている根拠なのだろう。午後自然塗料メーカー、リボスの立ち寄りここで昼食。輸入元イケダコーポレーションにとってはツアー最大の目玉である。
その後、ウオルフブルグのアアルトを久しぶりに再訪。フィンランドでアアルトを見たのはだいぶ以前であり記憶が定かではない。しかし、アアルトばかり見たせいか、ローカルな建築家、確かに上手いが。というふうに思った覚えがある。ただしここのアアルトは本当にいい。店舗を並べ町並みと付き合うアーケード状ファサード、図書館、集会室群、青少年施設の複合、アアルトらしさすべてに根拠がある印象。先回も感じ入ったのだが、再度、青少年施設の半屋外の場に大きな焚き火のスペースがあることに改めて感心。天空のガラス屋根が開く。北欧の気候がこうした場を思わせるのだろう。「森は生きている」の光景を思う。ケーニッヒの嫌うザハハリドを見る時間が遅く外観のみだが、私も感心はせず。
(写真上:Solarsiedlung(40’) Carsten-Reimers-Ring 下:Kulturzentrum)











16日リューベックの大学訪問。日曜であったのだが教授が待つ。実験棟をみる。木造といっても6枚の板を重ねた壁厚32センチのムク!!屋根21センチ。4枚の板重ねている。屋根壁ともそれらはドリルで穴あけし木栓で縫われ一体としている。「壁は断熱はいらない」屋根には萱が!!!。あきれてしまう。実作も見せられる。密実な壁体を思うとまるで材木置き場である。この日はもうひとつボートハウスを訪問、動かない船、動く家、移動が担保されれば商業施設としてはあるかもしれないがどうも思考が一部分に偏っている印象。これにも呆れる。どちらにもペレットストーブがある。このことだけが収穫。ヨーロッパの週末は安息日である。じっとしていたほうがいい。

午後、古いエコ団地。17年ほど経つ。当時、ドイツのこうしたコミュニティが学生運動などを下地にしていることを確認。自己管理が行われ、運営されているが、確かにあのころの気分のにおいがある。ここのリーダーがペンキ塗り替え中に転落死した直後らしく広場にろうそくが点されていた。運動の末の殉職。今後が大変そうである。エッカーンフェルデにいく。10年ほど以前突然日本で有名になったエコタウン。
(写真左:Universitat,Brettstapelhaus mit nachwachsende Rohstoffe
    右:Okosiedlung)


数年前に癌で去った高橋元がJIAの環境委員会にいたころ、毎年のようにエコバウツアーを引きつれドイツを見て回っていた。彼がケーニッヒの著作の翻訳にかかわるのもその縁からである。僕も一度誘われて同行した。其のころからツアーを支えるイケダコーポレーションはいわゆるエコ建材輸入を業務とする商社である。高橋亡き後のツアーに先回に続き説明役を依頼され同道した。参加希望人数が多くまた会議メッセなどのたてこむ時期のツアーは大変なものであった。以下簡単な旅行記である。
9月14日 コペンハーゲンに着く。ヨーロッパは二年ぶりである。今回のツアーもケーニッヒがアレンジしてくれている。15日朝、Tegnestuen Vandkunsten事務所訪問 週末にかかわらず、ムサビ出、日本人、女性のスタッフがボスとともに出迎えてくれる。申し訳なし。日本で建築を学んだ者が海外のあちこちで仕事をすることが普通になっている。この事務所は数百年を経た厩を改修した建物をオフィスとしているさすがに冬は寒そうではあるが。集合住宅が主な仕事との話。魚雷艇格納庫改造のコンバージョンによる巨大集合住宅を見る。原型は魚雷艇のドックを兼ねるものであったから倉庫内に水路があり海に面して建つ。高さは住宅5層分、20メートルほど、長さ150メートルほどか。倉庫時代の林立する高いコンクリート柱、それにかかるトラス、これだけを残し内部であったところに集合住宅を作っている。既存の列柱はバルコニーのサポート。本体とのヒートブリッジを切る。それだけでなく新旧の並立がきれい。トラスは最上階住居に入り込むが鉄材が細く問題ないのであろう。住戸内もうまい。歴史と敷地に助けられている。大きな倉庫のシルエットが存置されることが都市の記憶の継続となる。この辺はロンドンのテートと同様の価値と思う。A+Uあたりで紹介されたのだろうか。
(写真:Torpedohallen Danneskiold−Samsoes Alle)


午後ルイジアナ美術館訪問、なんといってもやはりここは建築とそれを取り巻く環境がいい。今は入り口ホールとなっている開館当初のささやかな建物の壁面を覆う植物が繁茂。ここでも数次に渡る計画の継続、流れる時間が建築の主題になっている。入ってすぐの付近はアヴェドンの企画展である。ジャコメッティを見ながらマレリという作家の展示、デンマークのフォークな作家の作品群を横目でみる。テラスでビール。週末ということもありたくさんの来館者。ピクニックのようにここに一日滞在し、屋外でのんびりし食事までここで取る、そんな美術館である。地下で話題の人、セシルバルモンド展を開催している。構造家の個展が開かれることがなにも不思議で無い時代である。ここは建築家を企画展で取り扱うこともよくある。ショップでルイジアナを建てた建築家の一人ヴォラートの作品集を入手。どちらかというと、家具スケールに近いところがうまいデンマークらしい建築家のよう。あわせてセシルバルモンド展のカタログを買う。
(写真:Louisiana Museum of Modern Art)

その後キンゴーへ、キンゴー後の計画であるフレーデンスブルグへは訪問したことがあるがキンゴーは初めての訪問。築50年ほど,二三の家が改修工事をしていた。配置図で知るあの池がある。周辺でも同様の池を見る。自然の池である。周囲の茂みが深い。住戸平面が記憶よりもっとさまざまある。配置も必ずしもコンセプチュアルではない。自在。敷地が例の池に向かって幾分起伏を持っているせいかもしれない。フレーデンスブルグではタイプがひとつだったと思うからキンゴーでの思考があって、フレーデンスブルグのプランはその後整理を試みた結果のことと思う。規則だっていない配置の中をさまよう感覚が図面では到底わからない。牧草地であったという敷地の記憶につながるのと思わせる。きわめて人工を感じない景観、シークエンスを作っている。集落に極めて近い。よかった。
(写真:Kingohusene oder,Romerhauser,Kingosvej,Carl Plougs Vej,Helsingoer)

キール泊、海岸沿いに並ぶ19世紀中ごろ以降に建てられたのではないかと思われる大きな家々が並ぶ。その中のキールヨットクラブという名前のホテルである。水準の高い施設。これも大きいヴィッラを、増築改修したものであった。既存部の保全の状態が極めてよい。


地域住宅推進協議会の主催する地域住宅計画賞の作品・すまいづくり部門で「木造ドミノ住宅」が「地域住宅計画賞」を受賞した。一昔前の『HOPE計画賞』である。
『表彰は、地域の住文化などを大切にしながら、地域の創意と工夫によりすまいづくり・まちづくりを推進した作品や活動を発掘するとともに 優れた作品や活動について表彰を行うことにより、広く地域の創意と工夫によるすまいづくり・まちづくりを促進することを目的としています。』 とされ表彰対象は『地域の創意と工夫によりすまいづくり・まちづくりを実践し、地域の住文化の発展等に貢献していると考えられる「作品」及び「活動」に授与します。 「作品部門」においては、地域の住文化への貢献等、その作品に込められた趣旨が十分に具体化されており、他の作品の模範となるもので、デザイン的にも秀逸であるものに授与します。 』とあり、選考基準には、下記のような項目がある。
『○地域の住まい方や居住者特性等を考慮したプラン、配置等の工夫が行われていること。
 ○通風や日照への配慮、雪対策や雨対策に対する工夫、高断熱化等の新技術など、地 域 の気候・ 風土に対応した工夫がみられること。
 ○長持ちするすまいづくり、ストックの改修による長期活用、住替えの円滑化など、サスティナブルな 地域経営に資する取り組みを行っているもの。 』
詳細は不明だが表彰式は10月はじめの推進協議会総会の中で行われる。その折ほかの受賞者、受賞理由など、わかるだろう。半田君、相羽建設とともに喜びたい。

東大で難波さんの主導で開かれている、技術と歴史研究会の私の分が10+1の最近号に掲載された。最近のグラフィックな建築雑誌の群れのなかで文字ばかりのこの雑誌の位置は独特である。普段はほとんど見ることがないのだが、学生諸君にとっては身近なメディアなのだろう。比較的価格も親切である。文字といっても思いのほか対談が多く、その分読みやすいようにも思う。今号はセシルバルモントが中心にいる。私の分は話の中身を簡素にし筋を整理してある。お読みください。

大阪に宿泊、広島に向かう。久しぶりの阿品土谷病院訪問。もちろん奥村昭雄、まこと氏も同道。建築知識の取材である。設備の一部に変更がされている、本館中庭に一部増築がされその箇所の印象がかわっている、ということはあるが、ほとんどが竣工当時のままといっていい。とてもきれいに使われている。竣工以来20年間動いていた無人搬送車が最近廃止されたとのこと、整備費の負担の増加が問題であったと聞く。機械の陳腐化、劣化は何につけ宿題である。10年前竣工した併設の老人保健施設の庭で土谷太郎さんを思い出しながら奥村さんと話す。
面白い仕事はクライアントがとても素敵なときに発生するものだと思う。阿品土谷病院はそうしたケースであった。一泊し翌朝新幹線までの時間、昭雄、まことと共に基町団地訪問、とてもきれいに手が入れられて嬉しかった。くすのきが大きくなっている。お二人も面白そうに観て回ってくれた。その後平和祈念聖堂へ。まことさんは初めてとのこと。一時修復が急がれると聴いた記憶があるが、既にそれはされているようであった。とても端整なこの建築がきわめて健全に存在する姿にあえてよかった。堂のなかに女の方がおり、地下の聖堂、、パイプオルガンのある聖堂後部の上階、側廊の上部、鐘楼にご案内いただいた。4つの鐘のあるところまで登る。奥村さんにはきつかっただろう。セメントレンガ、鉄筋、おそらく現場製作のプレキャストコンクリート製品、高いものはひとつもないのだが精密にカーブを描く鉄筋の手すり子とそれをトレースしみごとな曲線を描く木製の手すり、石工が刃の目を細かに刻むコンクリートの表面。レベルの高い職人の存在がそこここに見える。




環境建築賞に淡路島洲本の図書館の応募があった。カネボウのレンガ造の建築群が廃止により捨て置かれた。建設から100年ほどたつ膨大な産業遺構だ。それのほんの一部ではあるが取り込んで見事な環境整備としている。鬼頭さんの設計であり、図書館の計画に疎漏はない。9年前の竣工である。担当され今回説明してくれた佐田さんによると周辺のレンガ建築も当時はかなり残っていたという。その後ショッピングセンターなどの建設がされ整備が進むがその中で歴史の風景であるレンガ造建築の遺構、これがうまく資産として使われる街づくりにはなっていない。もったいない。せっかくの資産に着目する眼は自身が既に持つものを客観視する能力か。

ドミノを地域住宅計画賞に応募した。この賞はHOPE計画にルーツを持ち「地域の住文化への貢献と、新たな課題への取り組みを評価のポイントとするもの」で住まいづくり、まちづくりの二部門に分かれる。渡辺さん、巽さん、三井所さんなどが審査委員である。候補作に残ると現地審査があるようだ。月末に出る結果を待とう。

JIA環境建築賞の審査に忙殺されている。東さんの星のや、栗林さんの亀山の住宅、日建設計本社、富永さんの看護学校、圓山さんの学校コンバージョンなどである。今回、応募作品にひとつの傾向が見られ、温熱測定の条件を緩めて、広く環境全域に手法を求める結果となっている。富永さんの看護学校など緑地斜面という与条件との建築の応答が主題であり、圓山さんのコンバージョンも 建築の長寿命化と既存不適格等今後求められ整備すべき制度、考え方の組み立てへの試行に?がる興味深い仕事である。いわゆる「環境建築」が狭義に捉えられ、カタログのように要素技術がてんこ盛りになっているものが見受けられる。そう したものは関わった建築家の面白がり方を感じさせないさめたものに見えるのである。幅の広い可能性を探したい。

以前新聞でみてぼんやりと記憶、時折「確かそんな記事があった驚いた」と話していたのだが、新聞は特に切り抜きもせず、確たる証拠が手元には無かった。これは一度確認しておこう、と新聞社にうろ覚えの情報を伝え返事をもらい、記事のコピーを手に入れた。ごくスムーズに。確かにそれは記憶どおり、朝日新聞の日曜日の付録のようなページ、beの@データというところ、2005年12月4日の記事であった。1888年、1893年の人口は新潟が日本一。84年、98年も二位なのである。ちなみにこのころからもう国勢調査が四年ごとに行われたいたのだろう。記事にあるように米が最大の貨幣価値を持つ江戸から続く長い時代、日本海側が太平洋側に比べ圧倒的な豊かさを誇っていた証拠なのだろうと考えた。過疎、人口減少、シャッターどおり、などの対策が難しいのはこうした産業形態の変化による日本列島内の人口移動がこの100年以上の時間、続いていることからも伺えよう。今後の日本列島はどんな産業によってどこに人々が集まり、どこが空虚になるのだろうか。

所用あり、いわむら美術館へ。10周年を期し様々に動きを模索。そのための会合。夕刻以降に宴会となる。美術館収蔵庫の二層部分に新たな棚が完成した。翌朝、それを観る。久しぶりに収蔵庫に入った。小規模美術館としては本格的な設えである。
久しぶりの盛夏の風情。夏草の繁茂する丘、ちょうど草刈が入った後ではあったのだがそれでも緑の勢いに驚く。建物は緑の波に飲み込まれる船のように見える。佐藤さんの農場は先日の豪雨で畑の土砂が流れ、足元がぬれていた。とうもろこし、トマトを分けていただき、二年後からが収穫期というアスパラガスの畑を見た。

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